E-mailの使い方

過去何度か挙げた覚えがあるが、超短文Mailについて。

Mailは手紙・信書の代用という意識があって、Mailを使う場面では、
– しっかり考え、まとめて述べる
– 何度も往復させるものではなく、理想的には1件1往復で済ませるべき
こんな意識で使っておったわけですわ、長年。

使い分けるべき、と思っておったわけですわな。

Mail : 手紙の代わり。時候の挨拶など流石にいらんが、記録としても重要なので顛末経緯はしっかりまとめるべき。
SNS等 : 会話の代わり。一言や短文でやり取りを繰り返してすり合わせるので記録としては重要ではないため、反射的に書いてもまぁOK。
電話 : “言った言わない”を問わない場面で使うが、短時間とはいえ強引に先方の都合を抑える手段なことは要注意。

こんな感じで、通信手段は使い分けを意識していたり。

まぁしかし近年、雑なタイトル、或いはタイトル無し本文一言とか、添付ファイルのみ一切説明無しとかのMailが半数に及ぶわけでして。
これはもう意識の仕方の主流が変わっていると思われますな。そこでワシも時流に乗るべく考えてみる。

きっかけは、先日会った目下最重要と思っている方とのお話。
時間の使い方に関しての話題の中で、「オマエは文章書くのが好きだもんな、それで時間食うんだろうな」と言われたわけですな。
実はワシ、作文とかかなり苦手&嫌いだったり。
ココにダラダラ文章を挙げるのは、日本語利用の実績と証拠を残すのが外向きの理由だな。もちろん自分のための記録とか作文練習もある。余談だが毎年最低でもセンター試験の現国は解いて採点してみたりもしておる。
思っくそ雑多な口語体なのもそういったわけでね。時々刻々変化していく言葉についていくべく練習っちゅう面もありで。
ほとんど日本に寄り付かずにいるとよく「オマエ日本から離れているせいだろうな、日本語メチャメチャだな」と言われるので、『そりゃアンタの偏見か言葉の万能性狂信者なんぢゃろ、ぶっちゃけアンタの日本語のほうがわけわからんわ。』とあしらえるように、だ。
んなこと言う者は概してオレサマ主義なので本人に言ったりはせず「あーそうねまあね、うんうん」で流すけどね。

さてそれで冒頭の重要なその方、海外在住なので通信手段が要るが直近は年1度程度の面談を除いてMailに集中しているわけで。
何故”作文好き”と思われ、時間食い過ぎなのかを考えてみる。
先述の通り、振られた話題に対しいろいろ考えた末で顛末全て記すもんで結構な長文、結果的に200字程度のもんでも考えた末でまとまっているだけなので1通にかけている時間が長いんだな。
その方から来るMail文も基本長文ではなく、一言なこともある。ならば先述の”SNS等”のやり方を持ってきて、反射的に応答していっても良いのではなかろうか、それこそが世に求められている使い方なんじゃなかろうか、と思い至ったわけですよ。
ワシのような底辺能力が反射的に応答しては、間違いも増えよう。「すみません間違いです、云々かんぬんに訂正です」なんてなることも多かろうとは思う。
でもしっかり考えたつもりで応答しても所詮底辺だし間違いは残るので、頻度の違いだけなら即答と往復回数が多いほうが望まれるのかな、と感じたわけですわ。

Mailに関しては、ムダに丁寧すぎるのかな、と。時流的にももっと雑にやるべきかな、と。

そこで方針変更、

Mail(日常) : 会話の代わり。短文でやり取りを繰り返してすり合わせるので反射的に書いてもまぁOK。
Mail(一部特殊) : 手紙の代わり。時候の挨拶など流石にいらんが、記録としても重要なので顛末はしっかりまとめるべき。
SNS等 : 会話の代わり。一言や短文でやり取りを繰り返してすり合わせるので記録としては重要ではないため、反射的に書いてもまぁOK。
電話 : “言った言わない”を問わない場面で使うが、短時間とはいえ強引に先方の都合を抑える手段なことは要注意。

暫くこれでやってみようかと。
たとえ部下や子に対してであっても失礼すぎると封印していた、表題も本文もなく添付ファイルのみとかWebリンクのみとかを送るのもアリになるんだよなぁ、実はかなり楽しみだぞ。ついに解禁だぞぅ。

Mail(日常)とSNS等の使い分けがないけど、とりあえず使い分けずに成り行きでやってみる。そのうち使い分けの方法に思い至るかもしれんし。

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